『棄てられし者の幻想庭園』第6章

『むちゅう』という読みを用いる四字熟語が二つ存在する。

『無我夢中』、そして『五里霧中』。

それぞれ「我を忘れる程一心に行う」「行く先を見失う」という意味であり、動と静の言葉であるが故に同じ読みを内包しながらもそうそう並立する事が無い。

しかし大都心のど真ん中、動も静も内包するこの東京と言う都市の昼下がりに、一人の少女が見事それを同時に使用して見せた。

それは交通事故に遭わない事が不思議なレベルで下を向きながら街中を全力疾走をし、仕事先から明確な言い分も無く逃走を図った末に、現在地もギルドへの上手い戻り方も分からなくなってしまってどこかの公園の入り口で呆然と立ち尽くしてしまっている、アカネさんと言う人だ。

アカネ 「…………、……? え……」

更にはそのアカネさん。気付けば懐に隠していた大事な物が忽然と消えており、元より色白めの顔から血の気も引いて行く。

アカネ 「…………。どうしよう。私、どうしたら……」

初夏の陽天直下な中無我に逃げ続けたのに汗の一つすら出て来やしない、視界も未来も五里霧のアカネのそんな呟きは、人気の無い住宅地と公園に空しく広がる。

ただ、そんなアカネからは見えないだけで、世界にはどこかに誰かがいるもので。

??? 「どうしたのかな、迷子の子猫ちゃん?」

ふわりと優しく耳に届くその声に、チカついてホワイトアウトしていたアカネの視界も少しずつ景色を取り戻して行き、脱力しかけていた肉体も僅かに活性化させられて首がそちらへとゆっくり向く。

アカネ 「……コヨミ、さん?」

小さな公園のど真ん中、横並びになった正方形な石の謎なオブジェに腰掛けてコヨミはこちらを見ていた。

何故かそこに、小洒落たティーセットを広げて。

アカネ 「どうして……」

勿論それは、ここでお茶を愉しんでいる事に対してではない。

一口お茶を啜り、その味を目を閉じ深々と感じようとするままに、コヨミは自然な微笑みを声に乗せて返す。

コヨミ 「キミがここで泣いている未来が見えたから」

アカネ 「……ふぇ!?」

アカネには未知過ぎたその返しが、どういう訳か冷め切っていた全身を蒸気が巡ったかの如く熱くさせて一歩よろめかせた。

その反応にコヨミも大いに満足したようで、自分の腰掛ける石オブジェをポンポンと叩き、

コヨミ 「ふふ。ひとまず落ち着かない?紅茶でも飲みながら、キミの話を聞かせてよ」

不思議の国のお茶会よろしく、コヨミの独特な雰囲気に誘われて訳も分からないまま公園で始まった二人のお茶会。 ティーセットを挟んで横に座ったアカネは初めこそ口を開く事すら躊躇っていたが、コヨミに勧められて紅茶を一口飲むとあら不思議。

コヨミ 「なるほどねぇ、そんなやり取りが」

塞いでいた口も心も内から溶けるように解け、カフェでのトーコとイノリとのやり取りの事を少し時間を掛けながらだが話していた。

アカネ 「……本当、美味しい」

1エピソード話す度に1口。悪いものを吐き出す代わりに優しい紅茶で穴埋めするみたいに。気付けば2杯目すら飲み切っていた。

コヨミ 「ありがとう。今日はそこそこ上手く出来た筈なんだ」

コヨミも自分の分のおかわりを注ぐ。実はこれで4杯目らしいのだが、そんなに飲んで平気なのだろうかと思いつつもそんな事アカネも言わない。

アカネ 「紅茶、好きなんですか?」

コヨミ 「好きと言うか、スキルを覚えてから時間の感覚が薄くてね。分刻みで味の変わる紅茶を入れるのが良い治療法で、その内それが趣味みたいになってしまったんだよ。何事も捉え方次第だね」

長く物事に付き合う内に愛着が沸いたり、拘りが出てきたりすることは往々にしてある話。しかしまあ、紅茶を淹れることが治療になると言うのもなかなか洒落たスキル対策だが誰が発見したのやら。

アカネ 「捉え方次第……。私のスキルも、価値もでしょうか」

自身ではどう考えても覆すことの出来ない自己評価。無敵と言う特性を一体どう捉えたら良いものなのか、今のアカネには全くと言っていい程定まらない事だった。

そんなアカネに、コヨミは今までより少しだけ声に力を込めて語り出す。

コヨミ 「……真実はいつも一つ。ただし、それは人の目を通さずしてこそあり」

アカネ 「人の目を、通さず?」

コヨミ 「そう。物体の価値は見る人による積み重ね、何重にも塗り重ねられてようやくその輪郭が見えて来る。時間に疎い私が言うのも何だけど、人は結果を急ぎ過ぎ。限られた寿命の中で、極力何かを為そうとする。痛みや失策を避けて、効率的に物事を為そうとする」

アカネ 「でもそのおかげで、世界が発展して来たんじゃないですか?」

作業化、効率化、機械化。人の世は人の手を離れれば離れる程、人にとって完璧に近付いている。

だがそうして来た人と言う存在の、何と脆くて不完全な事か。そう変えてきた世界に順応出来る個体の何と僅かなものか。

コヨミ 「うん。でも急過ぎた。見極める前に見極めて来た。その結果、あっても良い筈のものが切り棄てられた。だからボク達はそこに手を伸ばすの。気の遠くなるような時間をかけて、理不尽に棄てられたものを元に還すために」

そう言いながら細めた目をして天を見る。そうすれば、過ぎ去ってしまったものが見える気がして。

前に進むためと思って消費して来てしまった、人間を形作っていた筈のパーツに気付く者はどれほどいるのだろう。種の進化の為と蹴り落として来た同法の存在に目を向けられる者が、この世でどれだけいてくれるのだろう。

それが無ければ今が無かったと識る者は、果たしてどこかで名乗りを上げるのだろうか。

コヨミ 「ギルドはそうやって、ボク達に居場所と価値を探す時間ときっかけをくれた。家族にも近い結び付きをくれた。アカネちゃんのスキルも、存在も、時間を掛けて皆で模索して行くんだよ。」

人に限った話ではない。たった一つの個体で生きて行ける種などこの世にはいない。何かになってくれる存在が必ず自分の周りにはいる。

問題は、それが見える力が自分に残されているのか否か。それに気付けるかどうか。

アカネ 「……私には、そんな漆塗りみたいに何度も塗り直して光沢を確かめる時間なんか無いです。それに、私の暗闇の運命に誰かを巻き込むわけにもいきません……」

そして、分かってはいても実際そうする事を許されているのか。

理解出来ない訳じゃない。でもそれは、とても段階と時間のかかる事。

だからアカネは下を向く。想像が及ぶ自分の意味が、価値が、世界と釣り合う気が全くしなくて。納得出来るまでにその時が間に合う気がどうしてもしなくて。

コヨミ 「……。じゃあ、見てみよっか?」

アカネ 「へ?」

そうやって肝心らしい事を明かさず微かに潤む目を伏せるアカネに、コヨミは横に向いていた上体を正対させ、一手身を乗り出し提案した。そうしたおかげでアカネへ微かにコヨミが甘く香る。

コヨミ 「ボクの未来を見るスキル、『懐中時計』でショートカットして。それに運命は分岐する、その内の破滅的じゃない未来を見れば良い訳だから」

未来が見えるという事は、歩む先の小石も崖も見えるという事。誰も傷付かない道を自分で選べるのならばそれは真っ当で正当な選択肢であろう、そのための代償も既に支払い済みな訳で。

アカネ 「えー……っと」

コヨミ 「おみくじみたいなもんだと思って。気楽にお任せ☆」

中性的で整っている容姿のコヨミが軽くウインクする様は、アカネから見てもトクンと胸を打って来る程に美麗。

だから、と言うだけでは無いのだが。

アカネ 「分、かりました。じゃあ」

アカネもコヨミの申し出を受け入れる。滔々と諭してくれていたように一人で抱えるには限界が来ていたし、それこそおみくじ感覚と言われると熱心に手助けを申し込まれるよりは遥かに頼り易かったのもあった。

それにしても。これだけ不快感無く人に寄り添えて魅力的な(やや魅惑的かもしれない)容姿をしているこのコヨミさんは、一体過去に何をやらかしてこのギルドに来る羽目になったのだろうか。

コヨミ 「ん」

こうやって明らかに自分よりも座高の低い相手にも下から顔を覗き込むような目線でスッと握手を求めて来る所とか、違和感無く自然に距離を縮めて来る所とか、音も立てずにティーセットを脇に避ける所作とか。もう人に好かれるプロか何かではなかろうかと。

とかそういうのではきっとコヨミからはないのだろう。きっとただスキルのために触れておきたいだけのこれであって。

アカネ 「え……はい」

自分からしようと思って触れた場合にはおおよそ『精霊の盾』は発動しない事はアカネも分かって来ていて。 差し出された手を素直に軽く握り返す。

と、

コヨミ 「うりゃ」

アカネ 「!?」

痛みを感じないギリギリの強さで更に手を握られたと思ったらグッと体を引き込まれた。そしてそのままアカネの全身が柔らかなコヨミの身体にふにゅっと抱き締められる形になる。

コヨミ 「……良かった。弾かれたら痛そうだなって思ってたよ」

抱き締めてそのまま内側から弾き飛ばされ粉々になる未来でも垣間見たりしていたのか、はたまた暑い中熱い紅茶を嗜まれておられた結果か。どちらにせよアカネには尚強く抱きしめて来るコヨミから、じんわりと掻いている汗にコヨミ自身から香る女性の匂いが合わさってまことに蕩ける成分が五感に直接伝わって来ていた。

アカネ 「あ、あのっ……?!」

忘れがちだが、アカネもこれでまだ穢れを知らない乙女である。身内とは言え今だけ妙に妖艶な香り漂うスーツ姿のお姉さんに突然抱き締められたらそりゃあ顔も茹って手足ピーン位にはなるってもので、突拍子が無さ過ぎていつか以来の脳内処理オーバーヒートして然るべき状態だ。あとここ公園だし。

そんなアカネを分かっているのかいないのか。コヨミはゆっくりアカネの髪を撫で下ろしながら耳元で真面目に囁く。

コヨミ 「……キミは、人の温もりに触れるべきなんだよ。『精霊の盾』がそう言ってる」

アカネ 「え。『精霊の盾』、が?」

そんなこと言われたらアカネとてその話を真面目に聞こうと思うのだが、コヨミさんってば鼻が触れ合うくらいの距離で目を見て来るんだもの。しかもまだ腰をガッツリホールドしてるし。

でも恥ずかしさよりは、何だか落ち着きと言うか温かみと言うか。そんなふわふわした感覚に包まれている心地がするのはやはり密着しているからなのかなと。

コヨミ 「キミの遺伝子が、置かれた環境が、築いた人生が生み出したスキル『精霊の盾』。あらゆる外敵を弾く……、それは裏を返せば癒しを、優しさを求めるスキルさ」

ついさっきの筈だが遠い昔のように思えるソナタが解説していた事。スキルは自分に欠けているもの、必要とするものを埋めるような、宛がうようなものが生み出される仕組み。その理屈ならば、アカネの『精霊の盾』は何かを受けた事が無ければ、傷付いた事が無ければ発現する事は無い。

コヨミ 「きっとキミは、人に甘えて良いのかどうか知らなかったんだね。」

アカネ 「あ……。私は……」

コヨミは、抱き締めるアカネの身体をゆっくりと撫で下ろし、そしてその手を取って微笑んだ。

コヨミ 「いいよ、ボクなら。ボクは未来を見るだけしか能が無い女だから。ボクがキミに出来るのは、こうやって受け入れる事だけ」

アカネ 「!」

気付けばコヨミさん、今度はアカネを後ろからギュっとしていた。最早要らぬ過程の動きを省いたこの手際の良さ。全人類が見習いたくなる神業、もといハグ神技だが、残念ながら習得も描写も観察すらも容易ではない。

取り敢えず、めっちゃ温かくて心地いい事だけはアカネにも分かった。

コヨミ 「ボクに、キミの体温を分けてよ。寄り添わせてよ。世界に居場所が無いと思うなら、私の隣がキミの居場所だ」

アカネ 「ぁ……………………」

背中から覆い被さるように抱かれていたハグが、やがて体を預けられる抱擁へと変わる。お腹の中で暖炉が灯っているようなふわふわした鼓動にそれを超える温度を持った愛撫が脳に塗られて、次第にアカネの全身は微睡んで行った。

コヨミ 「傍にいるから、もう気を張らなくても大丈夫。少しずつ、解決して行こう?」

紅茶を含んだ吐息の香り、躰そのものの甘い熱、そして心に寄り添う言葉の繭。生まれて初めてとも思える母性溢れる守護の領域に浮かび、コヨミの胸でアカネは静かに目を閉じた。

その寝顔の、何とも子供らしくて嬉しそうな事。

コヨミ 「……あったかいねぇ」

つい笑みが零れてしまう、初夏の児童公園。

本当に子供を寝かしつけるようにトン、トンと規則的にアカネを包む手で眠りを宥めていると、コヨミの携帯電話が鳴り始めた。

コヨミ 「起きない、よね……?」

自分も実はキープするにはほんのり辛い体勢だったので、オブジェに座り直しつつ力技でアカネの下半身を持ち上げ横倒しにし膝枕状態にする。さっきまでの優雅さは欠片も無い光景だが、むしろこっちの方がある意味微笑ましいのかもしれない。

そうして体裁と体勢を保ち直して、改めてコヨミは電話に出る。

コヨミ 「はいはーい」

ミコト 「コヨミさん、ひょっとしてアカネさんと一緒にいます?」

向こうからは、やや早口なミコトの声。対してコヨミはまだ陽気に当てられてのんびりめ。

コヨミ 「うん、天使の寝顔が今なら見放題」

ミコト 「面白そうなので撮っといて下さい。それが終わり次第フタバを向かわせますから急ぎアカネさんを連れ帰るように」

コヨミ 「……何かありました?」

コヨミも、まだこの先の事は見ていない。

ミコト 「特務組が先程ソナタ以外帰還しまして」

コヨミ 「早っ」

S級特務の情報はアカネ以外には実は共有されていた。それは別にアカネを省いた訳ではなくまだアカネには専用の連絡手段が無かっただけであり、あったとしても見る余裕も無かっただろうが。

とは言えコヨミも特務を知ったのは『懐中時計』の未来視でアカネを待っていた間の事で、かつ共有と言ってもせいぜい表題と構成メンバーだけなのでそう詳しくも無かった。

ミコト 「ええ。失踪者の女性は先程警察病院に搬入されまして現在は面会謝絶中ですが、保護した際に気になる情報が」

コヨミ 「S級の理由、か。それで?」

ミコトは、僅かにその続きの為に間を置いた。

ミコト 「……重要観察対象のその女性、どうやらアカネさんの母親のようなのです」

コヨミ 「!」

事情を察したと確信したミコトはそこで通話を終える。

コヨミ 「…………。うん、やめとこうかな」

自身の太腿にある安らかな寝顔を見て、コヨミは少しだけ過った予感と衝動をそっと収めた。

自信が無い訳ではないが、アカネをきちんとアカネとして信じていられるようにするためにはそうするべきだと思ったのだ。勿論、マスター命令とかだったら別ではあるけれど。

それに何より、こんなにいい寝顔を微動だにせず見せてくれる女の子が根っからの悪だったりはしないだろう、なんて。

コヨミ (……本当に事切れてないよね?)

寝息すら立てていないアカネに微妙に不安を覚えて軽くほっぺをツンツンしてみる。弾力のある瑞々しい良い肌だ、剥いで持って行ったらソナタとかは喜んで装着したがるかもしれない。

コヨミ (若いって、良いよね……)

そんな事を青空の下で思う、20代半ば女子。

脈を確認して問題は無かったのでそのまま過剰気味の日光浴を静かに過ごす事しばし。公園の植え込みの向こう側に見知った顔が現れて徐々に近付いてくるのが見えて来た。向こうもこちらに気付き足を速めて公園に入って来て、

フタバ 「おっ、……どーいう状態?」

往年の分かり易い仰天のリアクションを取って、大層珍しい物を見る目で太腿の辺りを凝視して来た。 別に今はその事で訴訟を起こしたり、面倒なので解説するつもりもコヨミには無い。

コヨミ 「ようこそ、天使の寝顔はいかがですか?」

フタバ 「、…………………」

おいおい何言ってんだい?まあ見ろと言うならやぶさかじゃあないけど。どれどれ、確かに小顔だし整ってはいるし可愛いっちゃ可愛いかもしれないけどさぁ。……あれ、何この感じ。おかしいな朝見た時にはこんなに女の子女の子してなかった気がするんだけど、今は何かもっとこう……守ってあげたい系的な?放っとけない何かが溢れて。あーそうか天使の寝顔ね、でも天使と言うよりはもっと、もっと……あれだよ、あれ……。……………………。

みたいな推移の顔をして一歩近付いてきたので、コヨミさんとしてはこうぶっ込んでおく。

コヨミ 「………………………………浮気?」

フタバ 「!!?、違っ、やかましーわ!」

コヨミ 「涎、拭いてね」

フタバ 「あ、汗っ!100%汗だってば!!」

コヨミ 「どっちにしろ不潔だから離れてね」

ちなみにギルドにおいては恋愛の類は一切禁じられてはおりませんが、オペレーションや業務に支障が出ないようにしましょう。と言う話で。

コヨミ 「……天使じゃなくて、魔性になるかもしれないなぁ」

フタバ 「元魔性の女がそれを言うなってばよ」

何も分かっていない顔で、コヨミは首を傾げつつアカネの髪をまた撫で始めた。

一方で。

??? 「連絡、まだか!?」

??? 「ああもうっ、何で許可が下りない!!」

??? 「離島より報告!サンプルAに異常無し、関連性は認められません!!」

関東北部の山間部某所にある巨大な研究施設内。非常事態宣言の出された所内はどこもかしこも縦横無尽に所員が走り回りモニターもパソコンもフル稼働していた。

??? 「大臣への報告書、添削完了しました!」

??? 「データ、いただきました」

??? 「馬っ鹿!最優先は拘束具だって言ったろ!!」

??? 「輸送の手配、後2時間で整います!!」

奇妙な単語も日常的に飛び交うここでも経験した事の無いスクランブル。飛び交う情報が正しく着地しているのかも判断が鈍りそうだが、それぞれが命懸けだからこそ誰もその環境に文句は言わない。今は二日前に起きた史上最大級の失態のリカバリーにその場の誰もが死力を尽くさねばならない状況なのだ。

当然ながら複数の研究があちらこちらで行われているので他部署での事は知らないという事も所員にはある。今応援で多数の所員が呼び出されているこの部署でも、さながら警視庁の事件合同対策本部並の修羅場を繰り広げられつつも重要な情報や進捗状況も併せてあちらこちらへ行き渡っている。

無論、国営であり超重要機密を扱うこの研究所はどんなに所員に余裕が無くともセキュリティーは万全である。施設全域配備の最新鋭防犯カメラに常時8名体制での敷地東西出入口での警備、複数あるプラントでも施設内外で巡回は行われていた。

??? 「お疲れ様!……じゃの~」

大部屋内で慌しく資料を抱えて駆ける所員にすれ違い様に声を掛ける。挨拶に留まらず、把握すべき資料や食堂の日替わりメニューについても情報を交換しておいて。

??? 「ふむ、こんなものか……」

一人、死線の輪から外れて大部屋を出る小柄な所員。前を開いた白衣のポケットに両手を差し込み人が行き交う広い廊下の中央を堂々と建物の外へと向かって歩いて行くが、そんな邪魔な奴を咎めるような余裕のある人間はハッキリ言っていなかった。

ただ機械はきちんとオンリーな仕事をこなす訳であり、天井から下がる監視カメラは警告こそしないものの所員の姿をばっちり命令通りに記録している。

??? 「……、ディメンジョン・ハイアー」

ボソりと口をついた直後、彼女から不可視の領域が展開される。そうする事で如何な高性能のカメラでもその存在を映し出す事が難しくなるのは既に経験済みの事。別に口にしなくともそれは出来るのだが、彼女の中ではそうする事がルールだった。

それが、『因果の鎖(ルールメイカー)』として作ったアイデンティティ。存在するためのルールである。

ソナタ 「ま、晩飯後くらいの難易度にしておいてやるかの~。さすがにこの警戒数は予想外じゃったわぃ」

必要な物を懐と脳内に忍ばせ、ソナタは建物を出て駐車場へ向かう。そして知り得た情報を基に該当する4tトラックを見つけ出し、その荷台へとさも当然に乗り込んで適当な荷物を背にしてくつろぎ始めた。

ソナタ 「さて、と。帰れるのは明日の朝かのぅ。前の任と合わせて10日振りか、大事を前にちょっとはゆっくりしたいもんじゃ~」

輸送する荷物に紛れつつスキルによる存在感の操作で違和感無く脱出するというありきたりだが効果的かつ楽な手段で今回も脱出しながら、これを持ち帰った後の事を思いソナタは呟く。

ソナタ 「じゃから、拾い食いは物を選べとゆーとるんじゃよ……マスターさん」

重く力強いエンジン音と共に、知らずソナタを乗せたトラックは走り出す。夜景も見えない旅の行き先は東京湾、関越自動車道を用いておおよそ6時間。

それは、とある周期が20を数えるほんの2日前の事だった。

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